馬場でも厩舎でも、タロウとルーカスと接していると、いつも頭に浮かぶ言葉があります。
それは、「今、ここ、自分」
でも、「頭に浮かぶ言葉」というとちょっとニュアンスが違います。
タロウとルーカスがいる目の前の光景そのものが、「今、ここ、自分」
自分自身が、 「今、ここ、自分」
ん~、やはりうまく言葉になりません。
書の詩人、いのちの詩人とも言われる相田みつをの書、詩に、
「いま ここ じぶん」というのがあります。
解説や解釈は巷に溢れています。
禅僧ティク・ナット・ハン師の言葉に、
「今を生きるとは、過去に捕まらないこと。未来に引っ張られないこと。」
という主旨の言葉があります。
どちらも、「いま」というものの大切さが誰よりも身に染みている「人」のとてもシンプルな言葉です。
読んだだけで、この言葉の奥深さが、とてもよくわかったような気になります。
でも、わかったような気になっても、日常生活はといえば、人間誰でも、
仕事、人間関係、 子育て、 お金、健康などの悩みや心配を抱えていて、
「過去」の怒りや悲しみ、未練や後悔などを引きずっていたり、
未だ来ぬ「未来」を不安と緊張で見ていて、胸が締め付けられたりします。
「いま ここ じぶん」 シンプルだけど、難しいのです。
ちょっと、どきっとしたご質問を頂いたのですが、
〇 「いま ここ じぶん」… それはわかります。で? それが何か?とか、
〇 「いま ここ じぶん」のメリットは?癒しですか?悩み解消ですか?とか
〇 馬とどんな関係があるのですか?とか…
ん~。 こちらが心の中で、その方々に逆に質問してみます。
そもそも、いま、ここ、じぶん ってなんでしょう?
人生訓なのでしょうか。
処世術なのでしょうか。
何かのスキルなのでしょうか。
何かの「利益」に直結するものなのでしょうか。
目的、目標… 何かを追い求め、その先に何か在るものなのでしょうか。
ちょっと視点を変えてみます。
人は食べ物に対して多かれ少なかれ、
あれは嫌い、これが好きといった嗜好性があります。
これは「過去」の経験の影響が大きいです。
また、これから摂る食べ物、つまり「未来」の食事に対しては、あれが食べたい、これが食べたいという「欲求」が働きます。
「今」食べているものに対しては、これはまずい、これはおいしい…
ん~何か変です。
「過去」に思いっきり捕まって、あれは嫌い、これは好き。
「未来」に思いっきり引っ張られて、あれが食べたい、これが食べたい。
そして「今」、何かを食べている「今」、これはまずい、これはおいしい…
過去、今、未来。いつも何かを「選択」と「評価」です。
「選択」と「評価」 が悪いわけではありませんが、
ひとつ足りないもの、「選択」と「評価」 に「在るがまま」を加えたら…
「過去」に捕まって、思いっきり後悔したり、怒ったりしても…
「未来」に引っ張られて、不安になったり緊張したりしても…
でも「今」だけは、「ただ在るがまま」。
あれは嫌い、これは好き。
あれがまずい、これがおいしい。
あれが食べたい、これも食べたい… だけではなく。
朝から時のたつのを忘れて、額に汗して思いっきり働いて、
お腹がもうペコペコになってはじめて、時はお昼だということに気がついて、
出された塩おにぎりを食べる…
この1個の塩おにぎりの一口目を噛みしめる時に、
あれは嫌い、これは好き。
あれがまずい、これがおいしい。
あれが食べたい、これも食べたい…
こんな「選択」と「評価」の余地はあるでしょうか。
おそらく、あるのは心の叫び、「うまいっ!」のみ。
お米の産地や品種を 四の五のと「評価」しておいしい、まずいではなく、
鮭だ昆布だとおにぎりの種類を「選択」する余地もなく、
ただ塩を振っただけのおにぎりを、受け入れて頂くこと。
「選択」も「評価」もせずに、ただ在るがままの塩おにぎりの一口目のうまさはひとしおです。
この「うまいっ!」の最中に、
「過去」に捕まって、「あ~きつかった。」… ありません。
「未来」に引っ張られて、「あ~、午後もやるのか。」… ありません。
今、現在の「うまいっ!」があるだけです。
この一個の塩おにぎりに、人は何を感じるか。
おそらく、 「しあわせ」 を感じるのではないでしょうか。
先ほどのご質問に対する答え…
それは、「いま ここ じぶん」とは、今の「しあわせ」を実感すること。
たとえ後悔や未練、不安や緊張があったとしても、
いつも「選択」と「評価」ばかりしていても、
じつは「今」、この瞬間、「しあわせ」だということに気づくこと。
つまり、「我に返る」こと。
【馬と人の関係】「自分を変える」? いえ、「我に返る」です。(2018.11.15)
メリットですか? 我に返ること。
悩み解消ですか? 我に返ること。
癒しですか? 我に返ること。
長くなってしまいました。
自らが感じて、実感として得なければわからないことを、言葉で説明することは困難を極めます。(^^;
私に言葉で説明を求めても、簡単すぎてかえってわからなくなるか、
くどすぎてわからなくなるか。いつもどちらかです。m(_ _)m
うちの馬の学校の生徒さん、「心呼吸」と「信呼吸」に気づいた小6のT君が私に言いました。。「話が長い!」と。
今回は、人の側の「今、ここ、自分」でした。
次回は、馬の側の 「今、ここ、自分」です。
【馬と人の関係】Joyful Communication-その1(2018.10.24)
【馬と人の関係】Joyful Communication-その3(2018.12.23)