【馬と人の関係】Joyful Communication-その1(2018.10.24)

人と馬とのジョイフルコミュニケーション。
グランドワーク…
それはジョイフルコミュニケーションの切符です。
馬と人の喜びに満ちた交流…
馬と人の喜びに満ちた関係…
人と馬が共に在る喜び…

人は日々を生きていれば色々なことがあります。
嬉しいこと、悲しいこと、腹の立つこと、あがいてもどうにもならないこと…
そして、往々にして、大きな試練と大きな喜びは一体です。

馬はどうでしょうか。
馬は試練とか喜び以前に、そもそも「人」から自由を束縛されています。
また、馬の命に関すること、ほとんどすべてが、「人」に管理されていて、馬の殺生与奪は人の掌の中。
そんな馬に唯一自由があるとしたら…
おそらくそれは、どんな環境にあっても、ただひたすら「すべてを受け入れて、今を生きる。」、「今を生ききっている」とでもいうべき馬独特の姿勢。
これは馬が自らを生きる内面の自由。

ともすれば、自分の主体性を忘れ、いつも何かに束縛されて振り回される(もしくは振り回す)日常を送ることが多い人間と、自分の命を人に握られながらも、来る日も来る日も、主体的に「今を生きて」いる馬。

ほぼ自問:そんな人(自分)と馬が共有できる喜びはあるのでしょうか。

答え:あると思います。

おそらく、それは、3つの関係性から考えられます。

まず一つ目は、「馬は馬、人は人」の関係
これは、グランドワークの時(放牧の時も。)に、馬を対象物として、自分の五感で観察し、客観的に感じている状態です。
馬と人がそれぞれ主体的で、分離しており、お互いに「眺めているだけでも癒される(それは馬の方も! 馬は小さい子どもが大好きです。)とか、「グルーミングをする方もされる方も楽しいし嬉しい」いった五感を通した喜び。

二つ目は、「馬も人、人も馬」の関係。
馬の心を察し、自分の心と一致している状態
馬と人の、心と体が一致して伝え合っている状態
グランドワークの中核となる部分です。
人が自分の弱さに気づき、受け入れることから始まる「人馬一体の喜び」、「馬とシンクロする喜び」がここにはあります。
馬にだって当然弱さはあります。
自分の「我」が強く出てしまって、人とのコミュニケーションがちぐはぐな時や、自分に自信がなくて、力を出すことを躊躇し、人の顔色をうかがってしまうときなど。

そんなときは、「心呼吸と信呼吸」でお互いに我に返ります。
人の呼吸に馬が反応してくれて、お互いに心のやり取りができる喜び。

三つめは「馬は人、人は馬」の関係
馬と人の心のやり取りに障壁がない状態
ただただ共に在る、そして共に生かされているという安心の状態
調馬索があろうとなかろうと、騎乗していようといまいと、
馬場だろうが、厩舎の馬房の中だろうが、
時間的制約、面積などの制約を全く感じない「人馬」の堺がない精神的な状態
人も馬も喜び度Max、そして無限大。
ん? でも、喜び度Maxというには‥‥ 何かがちょっと違うかも‥‥
無限大‥‥ ん~、それも何かちょっと違う。

そんなんじゃない‥‥
とても静かな‥‥
ん~‥‥ やっぱり言葉が見つからない。

これら3つの関係は独立して、ばらばらに起こるのではなく、また、どれがいいとかというものでもないように思えます。
馬とのジョイフルコミュニケーション。
深くて、喜びに満ちたコミュニケーション。

【馬と人の関係】Joyful Communication-その2(2018.12.22)
【馬と人の関係】Joyful Communication-その3(2018.12.23)

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