【馬と人の関係】「自分を変える」? いえ、「我に返る」です。(2018.11.15)

時として人は自分を責めてしまいます。
時間通りに動けない。
整理整頓がきちんとできない。
相手の話すことを最後まで聞けない。
人の中にいると疲れてしまう。
人と同じことを同じようにできない。
いろんなことに敏感過ぎて疲れてしまう。
そして… 人がこわい。
心から笑えない。

始終何か束縛を感じ、
始終冷たい視線を感じ、
始終漠然とした不安がつきまとい、
始終何かに緊張し、
始終不平と不満がこみ上げる。

自分で自分がわからない。
自分が自分でなくなってしまうような
自分が生きている意味さえ疑いたくなることも。

人から嫌われたくない。バカにされたくない。
人と違っている自分が不安。普通になりたい。
そんな自分を変えたい…自分は普通だと思っていたい。
安易に、「人と同じじゃつまらない。」などとうそぶけるような、そんな軽いものじゃない。
普通ってなに? それはとてもあやふやなことは知ってる。
普通ってなに? それはとても曖昧なことだということも知ってる。

 寒い…
 暗い…
 重い…
 痛い…
 虚しい…

自分の個性を否定して、自分を責めてしまいがちな一方で、
私たちの日常はというと、
ものごとを時間通りに動かしたい人や、
整理整頓をきちんとさせたい人。
人ができなければ、それを許せない人。
その人の話は絶対、最後まで聞かなければならない。
その人の言うことには服従しなければならない。
いつもそのような人(規則、不文律、常識、空気)に振り回されがちです。

ところが、皮肉にも、振り回されているはずの自分がまた別の人を疲れさせ、
緊張させ、不安にしている…

変わりたい…と、周りが悪い…を行ったり来たり。そんな自分が腹立たしい…
面倒くさい、億劫だ。そんな自分に腹が立つ。

そして…やっぱり… 
 虚しい…
 痛い…
 重い…
 暗い…
 寒い…

あぁ…息が詰まる‥‥ こんな自分。

はぁぁぁぁぁ‥‥ なが~いなが~いため息をつく(息を吐く)‥‥
息を吐くと????
スゥゥゥと 息を吸える。それもとても自然に…
すると???
フゥゥゥ‥‥ また息を吐ける…
すると?!
スゥゥゥっと、 また息を吸える!! 
それも前よりもゆっくりと!!

えっ!

んっ?

これって、呼吸だ!! 
当たり前のことだけど、これって呼吸そのものだ!!

度重なる怒りと悲しみを乗り越えた禅僧ティクナット・ハン師の詩

  息を吸うとき、私は静か

  息を吐くとき、私は微笑む

目の前にいるのは、
タロウ、そしてルーカス

ん? なんですか? とでも言っているかのような瞳。 

今、ここに「生きる」
ただただ、ここに「在る」
そういうものにしかできない眼差し…
フゥゥゥっと「我に返る」

すると?

自分の欠点だと思っていたことや自分を責めていたこと… 
見えてくる。
みんなそれぞれ多かれ少なかれ同じものを持っているということ。
そして、意外とみんなで小さく小さく助け合っているということ。
人はみな、その人の自覚以上に、芯は強いということ。

人を振り回している人ほど、本当は自分自身に振り回されているということ…

自分を変える? いえ。我に返る。

我に返ると、自分にも人にも優しくなれる。
いろいろなことが見えてくる。

我に返ると、すべてをありのままに受け入れて、
ありのままが、ありのままに見えてくる。

ため息でもいいから、息を吐く。
息を吐いたら、息を吸う。
そして、我に返る。

そこで気づくなにか。
そこから始まるなにか。
そこには確実に、なにかある。

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