【馬と人の関係】Joyful Communication-その3(2018.12.23)

人の「今、ここ、自分」… それは「我に返ること」

今 … 時
ここ… 空間(場)
自分… 心(命)

人の喜び、悲しみ、仕事、人間関係、 子育て、 お金、健康・・・
すべては、この三つが絡み合って、その関係性から生まれます。

馬は?

馬はたぶん、「自分、今、ここ」です。

馬を見ていると、いつも感じることがあります。
それは「存在感」。
意思と生命システムがしっかりと繋がって存在している姿。
言い換えるならば、「心と体が一致したボディランゲージ」。
おそらく、馬は 人のように「今、ここ、自分」 ではありません。
「自分」すなわち「心」と「命」が先です。

そして馬は、いつでも、「今」を生きています。
ということは、馬にとって「時」とはいつでも「今」を意味します。
いつでも「今」だから、いつでも「ここ」です。

過去や未来があるから、あちらやこちらがあります。
いつでも「今」の馬にとって、あちらもこちらもありません。
いつでも「ここ」です。

つまり、いつも「今」という「時」を生きていると、 どこでも「ここ」という「場」になってしまうということ。

どこにいても、そこは「ここ」。
「今」と「ここ」は、いつでもセットです。

いつでも 「今」。
どこでも「ここ」。
だからこそ、いつでも「自分」でいられるのです。
過去も未来もなく、あちらもこちらもなく、 いつも「自分」でいる。

いつも「自分」でいるということは…
人と違って「我に返る」必要がありません。いつでも「我」ですから。
それはとても強靭(しなやかで強い)で謙虚だということです。

しっかりとした「自分」があるからこそ、
強さに裏付けされた謙虚さがあるからこそ、
環境に対して無限の「受容性」を発揮できるのだと思います。
環境に対する「適応性」ではありません。「受容性」です。
「適応性」は、人々の大好きな「○○力」とか「スキル」。
つまり「知能」です。
「受容性」は、「知性」です。

その知性の高さは、「今」を生き切る「自分」なくしてあり得ません。
高い知性をもつ馬でも、不安におびえることや、緊張すること、苦痛を感じることはあります。
生きているのですから、生命維持システムは常に働いています。
でも、それは人と違って、将来に対する不安や緊張ではありません。
「今」、危機を感じるから不安や緊張を感じるのです。

常に「今」を生きている馬
その馬が「今」感じている不安や緊張に気づくには、
人も馬と同じ「今」に居なければなりません。
人も馬と同じ「ここ」に居なければいけません。
なによりも、人も心と体が一致していなければいけません。

気づけなくて、あとで馬に謝ることはしょっちゅうですが、
気がついて、「大丈夫だよ。教えてくれてありがとう。怖くないよ。私が一緒にいるよ。」と伝えたときに、馬から「ありがとう」を言われたときに感じる喜び。
馬の安堵の目、安堵の息吹、すぅっと下がる頭…

「自分、今、ここ」の「馬」と、
「今、ここ、自分」 の「人」がひとつになると、
「自分・今 今・ここ ここ・自分」

私のグランドワークの師、大塚先生の言葉で言えば、
Be a horse. (馬になれ。)
馬と人の関係は、このとき「受容と共感」で満たされます。
「命令と服従」ではありません。

馬と人のJoyful Communication.
喜びに満ちたコミュニケーションとは、「受容と共感」。
「知性」と「知性」のふれ合いなのです。

【馬と人の関係】Joyful Communication-その1(2018.10.24)
【馬と人の関係】Joyful Communication-その2(2018.12.22)

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