【虹色の馬と人】名馬はことごとく悍馬(かんば)より生ずる

悍馬(かんば)とは、気性が荒々しく、御しにくい馬のことです。
「名馬はことごとく悍馬より生ずる。」とは、伊達政宗公の言葉なのだそうです(山岡荘八著「伊達政宗」講談社)。

日本の中世政治史に詳しい、京都大学名誉教授の上横手雅敬教授(文学博士)によると、源平合戦の頃、武士達に尊ばれたのはおしなべて、皆、「悍馬」だったとのこと。

気性が激しい、個性が強い… 
当時の侍たちは、そんな馬を敬遠するどころか、逆に尊敬し、愛し、信頼関係を構築して、愛馬に自分の命をあずけて戦場に赴き、侍たちの家族は、自分たちとともに暮らした「馬」と一緒にいる自分の父の、夫の、息子の無事を信じることができました。

「調教が入りにくい。」などという言葉とは全く無縁の世界ですね。
「調教が入りやすい。」と言えば、「素直」⇒「普通」⇒「平均的」⇒「育てやすい」。一概には言えないでしょうが、つい、そんなイメージをしてしまいます。

調教が「入らない」のではなく、馬の「個性」と向き合っていたのです。
「枠に収めよう」としていたのではなく、まったくその反対で、「馬の本質」を「引き出そう」としていたのです。

東京国立博物館所蔵の重要文化財「牧馬図屏風」などを見ても、「あぁ、大変だなぁ。」とか「昔の人は凄いなぁ。」と一目で感じられる様子が描かれています。
人々が皆、イキイキと、そして真剣に馬に向き合っている姿が凄いのです。

「名馬はことごとく悍馬より生ずる。」 と言っても、額面通りに、ただ「荒々しくて、御しにくい」ことだけを考えるのはすこし早とちり。

おとなしくて、やさしいけれど、ここ一番で勇敢さを発揮する馬の話は枚挙にいとまがありません。
鈍重で、のんびりさんの馬が、ここ一番の時に、その秘めたパワーを発揮したという事例も沢山あります。
いつも寝転んで昼寝して、草ばっかり食べて、人から見放された小さな競走馬が、大きくてたくましくて、負け知らずのエリート馬を、一対一のマッチレースで何馬身も差をつけてぶっちぎりで圧勝したという事例もあります。

タロウとルーカスも、個性豊ですよ。
タロウは、純粋でまっすぐで、駆け引きがまったくと言っていいほど通じません。でも人の「嘘のない心」を裏切ることはありません。
ルーカスは、フェラーリのような荒々しさとパワーを秘めているのに、そのパワーを自ら出そうとはしません。いつでも「人の心」を受け止め、受け入れて、寄り添ってくれます。
食い意地が張っているのはルーカス。
出された分を、きちんと食べて、その後あまり執着しないのはタロウ。
ちょっとしたことにビビるのはルーカス。
ビビったルーカスにビビるのがタロウ。
個性って、どんどん見えてきます。
大雑把に「こんな性格」などと言えるものではありません。本当にいろんなところが見えてきて、それこそ「!」と「?」の連続です。

ふと、考えてしまいます。
もしかしたら、昔の人々は馬並みに個性が多様で、たくましくて、「!」と「?」に敏感で、言語で認識するよりも、心で「感じる」ことの方が多かったのではないかと…
生きることに真剣に向き合うと、個性を抑えるのではなく、その個性を洗練して生き抜くことが必然的に求められるのではないかとも思えてきます。
「牧馬図屏風」に描かれている個性豊かな馬たちと、その馬たちに向き合っている人々の様子に思いを馳せると、その馬たちに関わった人々の個性の多様性が見えてきて、そして人々の多様な個性が受け入れられるだけではなく、尊ばれていたということも見えてくるのです。

「名馬はことごとく悍馬より生ずる。」

なんか、おおらかさと温かさを感じる、馬にも人にも優しいことばです。

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